悲しい願い?

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今月1日、岸田首相がユネスコに佐渡島の金山を世界遺産として推薦しました。

全国ニュースでも大々的に取り上げられましたが、田巻の住む新潟県でも、地元の佐渡市はお祝いムードに包まれ、地元メディアでも特集が組まれました。新聞記事には、『「悲願」を目指した動きが始まったのは、25年前にさかのぼる』など、これまでの取り組みも掲載されました。

ところで、この「悲願」という言葉ですが、不思議に思ったことはないでしょうか。悲しい願い?悲しく、つらい思いを繰り返しても叶えたい願い?ということなのでしょうか。

広辞苑には、

1仏・菩薩が慈悲の心から衆生(しゅじょう)を救おうとして立てた誓願

2どうしても成し遂げたいと思う悲壮な願い

とあります。

1の衆生とは、生命のあるすべてのもの、人間はじめすべての生物の意味です。想像した意味は、この2に近いものですが、悲しいことを願うときに限る言葉ではなく、1にあるように、仏教からきていることがわかります。

仏教でいう「悲願」の「非」は、悲しいということではなく、「慈悲」の意味。「仏さまが大慈悲心から起こされた願い」という意味があるそうです。慈悲は、「慈」が苦しみを抜いてやりたいという心、「悲」が楽しみを与えてやりたいという心を表しています。

本来は仏教の言葉が転じて、「どうしても成し遂げたい願い」という意味で現在の「悲願」の意味で使われるようになったのですね。悲壮(悲しくも勇ましい)という意味で解釈されるようになり、これまで叶えられず悲しい思いをしてきたような過去があり、今こそ絶対叶えたい!と思っているような強い願い、という意味合いでも使われるようになったというわけです。

悩みや苦しみのなかに生きている人を、救わずにはいられないという慈しみあわれむ心のことで、元々は、仏様から私たち人間に向けた願いですが、現代では人間目線の願いに変化したと言えます。

言葉は変化していくもので、新しい意味が追加されて使われることは仕方ないことですが、本来の意味を正しく知ることが大切ですね。「悲願」の本来の意味を知らない人がいるのは悲しいことだと話している僧侶もいらっしゃいます。

仏教の僧侶にとっては、本来の意味が知られることこそ、「悲願」なのかもしれません。

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